米国にレストア(原状復帰)の風を最初に起こし、伝統ある名門コースをメジャーの舞台とすることに成功したリース・ジョーンズはオープン・ドクターと賞賛される。日本では御殿場の地にその名を刻んだ。

レストアの嚆矢はザ・カントリー

 リースは前々回に紹介したR・T・ジョーンズSrを父に持つ。つまりジョーンズJrの弟でもある。父は息子たちにコース設計家としての遺伝子を残し、その仕事の場を米国の西側は長兄に、東側は次男に担当するように配慮したといわれる。

 ジョーンズ一家は家長の仕事で、米国中を旅するうちに、兄弟はいつしか設計家の道を目指すようになった。しかし、“ゴルフバカ”にならぬようにと、母の助言でリースがエール大学で専攻したのは文学であった。文学士として卒業(1963年)した後、ハーバード大学で2年間、デザイン学部造園科に学ぶ。

 リースの名前を一気に高めたのはザ・カントリークラブの改造・改修であった。
 1931年、全米オープンで弱冠20歳の無名アマ、フランシス・ウィメットが、当時英国の頂点にいたハリー・バードンをプレーオフで破って、米国中が歓喜にひたった。ウィメットは労働者階級に属していたため、その時からゴルフの大衆化が始まったといわれる。その舞台こそが“ザ・カン”だった。用具の進化により、18ホールのすべて易しくなっていた同コースを、原設計を活かしながら現代に合うよう改造し、1988年、75年ぶりに全米オープンを開催する源となったのだ。

画像: The Country Club www.reesjonesinc.com

The Country Club

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オープン・ドクターと呼ばれるわけ

 以来、レストア(原状復帰)時代の幕が切って落とされ、リースは7つの全米オープン開催コースを改造・改修して、「オープン・ドクターの」名をほしいままにしている。

 リストアしたコースには父との因縁もあった。ヘージェルティンナショナルGC、コングレッショナルCCは父シニアの原設計。ヘージェルティンナショナルGCはリースが尊敬するテリングハーストが原設計で、それをシニアが改造したのを再改造。親子2代、伝統を守る改造の歴史を刻んでいる。全米オープンを開催した他のコースはパインハーストNo2、パブリックのベスページブラックC(全米オープン3度開催)、珍しく西海岸のトーリーパインズGC(08年開催し、21年の開催も決定している)がある。
  また、全米オープンのみならず、全米プロ(7つ)、ライダーカップ(5つ)、ウォカーカップ(2つ)、プレジデンツカップ(1つ)を改造・改修している。

リース・ジョーンズのレストア学

 「私はモダンクラシックが好きで、例えばピート・ダイのような劇場型の過激さは好みではありません。伝統ある原設計を活かしながら現代に通用させる。これが私のレストア哲学です」とリースは語る。

 日本では関西の茨木CC、そして関東では太平洋クラブ御殿場コースを手がけた。リースはクライアントとコミュニケーションを密にして、その要望を可能な限り取り入れる。御殿場コースでは「加藤俊輔氏の原設計を崩さずに、富士山を最大限に見せ、コース自体をグレードアップしてスリリングなトーナメントを開催できるようにする」というのがリースに与えられた課題であった。それは成功したように見える。それにバンカーの縁のカットが素晴らしい。以前のバンカーの造形とは比較にならないほど美しい。

画像: リース・ジョーンズのレストア学

基本原則、3つの要素

 リースのコース設計での基本原則は3つある。1つが「ディフィニション」。ティに立った時、プレーヤーにそのホールの戦略性を提示すること。フェア性である。2つ目が「マルチ・セオリーズ」。18ホールの中に多くの設計理念、違った性格の要素を盛り込んでプレーヤーを飽きさせないこと。3つ目が「ナチュラル・ビューティ」だ。それも人為的に造り込まず、周りの環境、借景に溶け込んだ美しさを追究することだとリースはいう。

 今度、御殿場でプレーする機会があったら、これらのことを是非、吟味してもらいたいものだ。

画像: リース・ジョーンズ 太平洋御殿場にて

リース・ジョーンズ 太平洋御殿場にて

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