実は、上田は門司GCの前に試作品ともいうべき信太山ゴルフ場(9ホール)を設計している。
これに力を得て廣野ゴルフ倶楽部を辞職し造園事務所を設立して、門司を皮切りに本格的にコース設計家の道に進んでいくのだ。
多作は上田の自信の表れ
コース設計を請け負う前の姿勢には、上田には井上誠一との違いがあった。
井上が要請を受けてから、素材(土地、環境など)をじっくり吟味してから引き受けるかどうか、決めたのに対し、上田は要請されたらほとんど断っていない。そのため、井上が設計したコースが39なのに対し、上田は54コースの数字を残している。
これは上田が廣野時代、土木作業も経験し、大学での造園学を学んだことが大きい。アップダウンの激しい丘陵が多い関西、及び以西での山地でも重機を使い、度量を動かし、自分の思うように造形できる自信があったのだろう。

門司ゴルフ倶楽部
淡輪は近年、上田時代に現状復帰
門司GCを皮切りに大阪GC(淡輪)、古賀GCと設計していく。
余談だが、淡輪は上田が設計した折にはリンクス風で樹木が1本もなかった。原初の造形に近づけるために現在の設計家、川田太三がレストレーション(原状復帰)して、樹木を伐採。7番(パー4)もティグラウンドから海が臨めるようになった。
上田の設計には、最初の頃は師匠・C・H・アリソン、視察したスコットランドのリンクスの影響が多く見られた。
ノースベリックGC西Cの15番、パー3の砲台状、グリーンが右から左に傾斜している「レダン(土塁)」などはその顕著な例だ。
ちなみにレダンは世界中のコースでいちばんコピーされている。
しかし、やがて上田の作風はリンクスタイプから「モダン」タイプへと変貌していく。重機を駆使して、大量に土を動かして平らなフェアウェイを現出させ、その上に変化にとんだホールを構築、配していく。例えばフェアウェイを斜めに置いて、ハザードを横切らせたりして戦略性を高めた。

大阪ゴルフクラブ(淡輪)
設計家は「大地の彫刻家」
四日市CCを設計した折、設計手法を上田が次のように説明したと伝えられる。「地形はアップダウンが激しく、打ち下ろして打ち上げるという単純さに陥りやすい。そこで全体の中に池や谷を配してアクセントをつけることで、戦略性を持たせ18ホール、1ホール1ホールが同じ印象にならないようにした」
そして設計家の役割を「自然を利用し、その土地の環境、時代的要求を勘案する大地の彫刻家」と上田は結んでいる。
クライアント(発注主)の要望にもしっかり応えたため、地形の険しい関西以西からの注文が引きも切らなかったわけである。ただ造り変えるだけでなく、造園の知識も活かして、植栽、また遠景の借景なども取り入れているが、やはり“力業”の印象が深いのは止むを得ないだろう。

当時の設計図
「東の井上」より「西の上田」が上の理由
このために上田の作風は剛=男性的と評された。これは自身がオリンピックまで出場したアスリートとしてのイメージが色濃いのも左右しているだろう。対して東の井上誠一がコースのあちこちに“曲線”ラインを造形したため柔=女性的、蒲柳(ほりゅう)の質のせいか、薄幸のイメージも重ね合わせられている。
ゴルフコース評論家の故・田野辺薫は「理論派コース設計家として、農学の権威として井上より上田が上」評している。
蛇足だが、上田設計の代表的8コース(門司GC、大阪GC・淡輪、古賀GC、下関GC、奈良国際GC、小野GC、茨木GC、広島CC八本松C)で1年に1度、上田を偲ぶ「上田クラシック会」が設立されている。

近鉄賢島カンツリークラブ