軽井沢の湿地原野に108ホールをグランドデザインしたロバート・T・ジョーンズ親子。中でも北コースはグレードが高く、女子ツアー開催は夏の風物詩。

西武グループ、悲願の日本を代表するリゾート造成

西武グループは軽井沢南部の湿地帯を含む原野を開発し、1956年(昭和31年)、南軽井沢G(9ホール)から始まった。そこから「軽井沢72ゴルフ(以下72)」の造成につながっていくのだが、そのときに西武グループはコース設計をロバート・トレント・ジョーンズSrに依頼した。

彼は米国での荒野の緑化造成工事の手法を提案した。コースには多くの池を配し、発生土で地盤をかさ上げし、排水改良を行うととものに池の水は芝への散水に活用とするものである。池の多いアメリカンスタイルのデザインが生まれた理由もここに拠る。

こうして1971年(昭和46年)、西ゴールド・ブルーが完成。次に(東入山・押立)の造成に移る頃に設計者はSrから息子のジョーンズJrへバトンタッチされていた。南、北が開場し6コース、108ホールの72のプロジェクトが終了した。

日本の美をデザイン。北コースはその嚆矢(こうし)

ジョーンズJrは今では世界に250コースを造成し、日本でも軽井沢72を皮切りに約16コースを大地に刻み付け、オープン・ドクターの異名をとる。彼の設計哲学はその国の文化、風土を理解しそれをコース設計に活かすこと。日本の場合、東洋美、日本庭園にヒントを得て具現化し、自らそのホールを一幅の絵としてスケッチした。また日本の険しい山岳地形でも、自然をとりこんでロケーション豊かなコースに仕立て上げられることを実証した。

72北コースはそんなジョーンズJrのデビュ―作であり、その目論見は見事に成功している。傾斜地を可能な限りデザインに取り込み、地形を変えるときには全景がなるべく自然に見えるようにデザイン。つまり地形自身が求めている穏やかで流れるようなラインを印象づけている。北コースのどのホールにもそのスピリットは生きている。

そしてジョーンJrが求めたのは良いショットには成果を、悪いショットにはそれなりにペナライズされるべきだというデザインだった。フェアウェイ左右の法面のために悪いショットが予想よりはるかに良い結果になってしまうレイアウトを禁じた。

これらの精神は池の絡む2番、3番、4番、5番、16番、18番ホールに活かされている。また危険エリアのそばにはベストルートをもうけ、ギャンブルに成功すれば成果を得られるというリスク&リワードのホールも何か所か見受けられる。

画像: 池とバンカーを巧みに配し、危険エリアとベストルートが隣り合う

池とバンカーを巧みに配し、危険エリアとベストルートが隣り合う

例えば7番ホール。左ドッグのパ―4、フェアウェイ左のクロスバンカー右サイドをぎりぎりに狙えば、2オンも楽になるが、フエァウェイ右サイドを安全にいけば、2打目は相当距離が残ることになる。むろん失敗したら左のクロスバンカーの餌食になることもありうるわけだ。

日本での1グリーンを定着させたジョーンズJr

最初に指摘しなければいけなかったかも知れないが、日本で1グリーンが標準になったことも、72を魁(さきがけ)とする。これはジョーンズ一家の絶対譲れない鉄則だった。これまでの日本では春夏用高麗グリーン、秋冬ベント芝の2グリーン制にしなければ、年間通じて持たないというのが常識。しかし、それではグリーンとグリーンの間が戦略的に“甘く”なる。しかもその単調さが18ホール続く。そこでジョーンズJrはグーンを広くし、芝の痛みを軽減させ、USGA方式のサンドグリーンにして芝の生育をうながし、1グリーン制に成功させた。

画像: 毎年熱戦が展開されるNEC軽井沢72トーナメント。夏の風物詩となっている

毎年熱戦が展開されるNEC軽井沢72トーナメント。夏の風物詩となっている

72の6コースの中で、北コースは山岳丘陵をむしろ長所にかえて、メリハリが効き、変化が楽しめるデザインとなり、グレードのいちばん高い、72での旗艦コースとなっている。夏の風物詩となった女子トーナメントのNEC軽井沢72ゴルフトーナメントも、この北コースで1998年から(1987~1997、東コース)毎年行われている。

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