40歳を過ぎてからプロテストに合格し、ツアーデビューを果たすなど、プロコーチの枠組みを超えた活動が大きな反響を呼んでいるプロゴルファー・中井学。
そんな中井が自らの波乱万丈のゴルフライフを振り返る連載。第11回は、すし石垣との二人三脚での快進撃。

2006年 ツアー開幕戦の東建ホームメイトカップは、東建塩河カントリー倶楽部での開催。私は坂倉俊哉プロのコーチ兼キャディとして会場入りしていた。サポート役として黒子に徹していたが、変なヤツに見つかってしまう。それは坂倉が練習ラウンドを終え、練習場でスイング調整をしているときだった。

僕もご指導をお願いしてもいいでしょうか?

坂倉に忍び寄る黒い影。突然「いいスイングしてんじゃねえか、コノヤロー!」と坂倉に詰め寄って握手。私は瞬時に「関わってはいけない人か?」と思い、微妙に距離をとった。「どうしてそんなにスイングがよくなったんだ?今週優勝か?」「・・・。」「教えろよ、コノヤロー!」「あっ、あの人に教わっています・・・。」坂倉が観念して私の方を指差すと、彼は帽子を取って一礼し、こう切り出した。

「サック(坂倉の愛称)のスイングをここまで仕上げられる腕があるなら本物です。僕もご指導をお願いしてもいいでしょうか?申し遅れました。初めまして、すし石垣といいます。」出会いは突然だった。300ヤードを超えるドライバーの飛距離と繊細なパッティング、派手なパフォーマンスもあってすでに人気者ではあったが、実は当時、優勝はおろかシード入りもした事がなかった。

すしの予測通りの優勝とはいかなかったが、その週の坂倉は最終日66をマークし11位タイ。上々の滑り出しだった。だがその後の坂倉は苦戦の連続だった。彼自身が試合に集中できない出来事が立て続けに起こった。21試合に出場し賞金ランクは104位。しばらくして彼はツアープロを断念した。坂倉の優勝やシード獲得をサポートできなかった悔しさは今も消えない。

すし石垣専属コーチとしてのスタート

反面、すしは順調だった。飲み込みも早く、賞金ランク63位で初シード。暮れに彼から提案があった。「専属コーチになってもらえませんか?」それまでは試合会場でスイングチェックをするパターンだったが、それだけでは不十分だとはお互いが思っていた。ただ専属でコーチを雇うのはお金がかかる。シードを得たとは言え、何年もシードを続けていないと人ひとり雇うのも大変だ。何より彼は子沢山(笑)。だが、「契約金○○円、優勝ボーナス○○%、2位から5位○○%・・・」と項目は細部までしっかり決められていた。彼は見た目やパフォーマンスから変人扱いされることが多いが、プロゴルファーの中でもドがつくほどの真面目人間。こんな事言うと営業妨害だとツッコまれるかもしれないが(笑)。

そんなすしとの二人三脚で数々の優勝争いをともにし、私は「すし石垣の快進撃を支えるコーチとしてメディアに登場することとなった。(文/中井 学)

画像: 中井学(なかい・がく)1972年4月14日生まれ。高校卒業後に渡米し、苦学しつつゴルフの技術を磨き、見識を深めて帰国。ツアープロコーチとして長く活動した後、2015年にプロテスト合格 2016年、東建ホームメイトカップでレギュラーツアーデビューを果たす

中井学(なかい・がく)1972年4月14日生まれ。高校卒業後に渡米し、苦学しつつゴルフの技術を磨き、見識を深めて帰国。ツアープロコーチとして長く活動した後、2015年にプロテスト合格
2016年、東建ホームメイトカップでレギュラーツアーデビューを果たす

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