40歳を過ぎてからプロテストに合格し、ツアーデビューを果たすなど、プロコーチの枠組みを超えた活動が大きな反響を呼んでいるプロゴルファー・中井学。
そんな中井が自らの波乱万丈のゴルフライフを振り返る連載。第10回は、「選手」と「コーチ」
自問自答の日々。

岐阜のゴルフ場を退社し、本拠地を奈良県葛城市の新庄ゴルフセンターに戻した。「選手として活躍したい」の思いで環境を変えてはみたが、岐阜でも指導者としての評価だけが独り歩きした。父方の叔父からの「虫一匹も殺せないおまえがプロの世界でやれっこない」の言葉が重く肩にのしかかる。指導者の方が向いているのか?自問自答の日々の中で、とあるプロと再会する。

坂倉俊哉との再会

坂倉俊哉。よく「いたくらとしや」と間違えられるので、2006年にはさかくらとしやの登録名でトーナメントを戦った男だ。2003年にシードこそ獲得できなかったものの、切れのいいショットはいつ見ても素晴らしかった。「こいつが勝てない男子ツアーってすごいんだな」と思っていた。坂倉自身も私に同じ思いをいだいていたらしい。「この人、これだけいい球打っていて何で試合に出てこられないのか?」と。

そんな二人がとある試合で一緒になった。「学さん、何してはるんですか?」「とりあえず新庄に戻ってきた」「今度、お邪魔していいですか?」「何しに来るん?」そんなたわいない会話だった。試合後、間髪入れずに彼はやってきた。数発打った後「どう思います?」「どう思いますって、素晴らしいと思うよ」「ホンマですか?」「ああホンマや」「お世辞は要りませんて」「ほな、気付いた点だけ言わしてもらうわ」しばらくの間、私の説明を黙って聞いていた彼は何かを悟ったようだった。

僕のコーチになってもらえませんか?

説明を終えると開口一番「僕のコーチになってもらえませんか」コーチになってくれとお願いされるとは微塵も思わなかった私は動揺した。彼の技量に磨きをかければ必ずツアー優勝できると信じて疑わなかったが、私自身ツアープロとしての可能性を追求したい。しばらくの間は練習パートナーという形でコーチを引き受けることにした。

だが2004年のQT(クオリファイングトーナメント)はそんな優柔不断を許さなかった。
坂倉が不調を訴えてきたにもかかわらず、私自身もサードQTに出ており、コーチとしてのケアが出来なかった。共倒れ。私は自分の無責任さを恥じた。「来年はコーチに専念する。一緒にてっぺん目指そう」2005年は勝負の年だった。坂倉には伝えていなかったが、彼の結果が出なければゴルフはおろか、コーチも廃業しようと考えていた。2005年のファイナルQT最終日。私はキャディとしてピンフラッグを手に彼のパーパットを見守っていた。およそ3m。
「コロン」音だけが聞こえてきた。怖くて目を開けていられなかった。31位。
開幕戦から出場できる順位だった。

2006年度ツアーに就職した彼と、ゴルフを退職せずに済んだ私がスタートラインに立った瞬間だった。(文/中井 学)

画像: 中井学(なかい・がく)1972年4月14日生まれ。高校卒業後に渡米し、苦学しつつゴルフの技術を磨き、見識を深めて帰国。ツアープロコーチとして長く活動した後、2015年にプロテスト合格 2016年、東建ホームメイトカップでレギュラーツアーデビューを果たす

中井学(なかい・がく)1972年4月14日生まれ。高校卒業後に渡米し、苦学しつつゴルフの技術を磨き、見識を深めて帰国。ツアープロコーチとして長く活動した後、2015年にプロテスト合格
2016年、東建ホームメイトカップでレギュラーツアーデビューを果たす

This article is a sponsored article by
''.