40歳を過ぎてからプロテストに合格し、ツアーデビューを果たすなど、プロコーチの枠組みを超えた活動が大きな反響を呼んでいるプロゴルファー・中井学。
そんな中井が自らの波乱万丈のゴルフライフを振り返る連載。第9回は、ついにプロコーチとしてのスタートを切ることになる。

2018年、私は指導者歴20周年を迎えた。これも全ては私を信じて指導を仰いでいただいた皆さんのおかげだと、この場をお借りして厚く御礼を申し上げたい。

他のプロの理論や考え方を否定してはいけない

大学在学中からボランティアでレッスンは行っていたが、仕事としてレッスンを行うのは「責任」がともなうわけで、それだけに気合いが入りすぎ、生徒さんから「圧がすごい」と苦情もしばしば(笑)。その気合いが最高潮になるのが、ゴルフ雑誌を持参されて「このプロの記事の中身、中井君が言っているのと正反対なんやけどどういうこっちゃ?」「股関節や肩甲骨が大事なんてどこにも書いてへんで」必死で説明を繰り返しても、「新聞や雑誌はウソつかんやろ」となしのつぶて。自分が何年もかけて研究してきた事が聞き入れられない悔しさを「○○プロは間違っています」「このゴルフ雑誌に書かれていることはおかしいです」とレッスン現場でも吐露してしまっていた。レッスンが終わる度にむなしい気持ちだけが自分を支配する。受講していた生徒さん達も耳障りだったに違いない。

ある日、私は誓いをたてた。「他のプロの理論や考え方を否定しない」自分を信じてくれる生徒さんを上達させることだけが指導者ができることすべてとの境地に達してから、口コミで生徒さんは増え、いつの間にかプロ志望の研修生やプロまでがアドバイスを求めに新庄ゴルフセンターに足を運んでくるようになった。「自分を頼ってきてくれる」嬉しい事この上ないのだが、指導者として認められれば認められるほど、私は苦しくなっていった。

試合で結果が出せない、そして、一念発起

1997年に日本ゴルフツアー機構(JGTO)が発足し、予選会を突破してツアープレーヤーになるも、試合では全く稼げず、レッスンプロとしての収入しかない状況が何年も続いた。「選手として勝負したい」その思いが日に日に強くなり、一念発起して新庄ゴルフセンターを辞め、岐阜のゴルフ場に就職した。ゴルフにどっぷり浸かってみるのが今の自分に必要な事だとの判断だった。

業務は朝6時半から玄関先でのポーターからスタートし、カートへのバック積み、プレー終了後のバック下ろし、カートの洗浄と格納が終わってから練習時間が始まるのが14時以降。最初はもっと練習させてくれる約束だったが、そんな約束、あってないようなもので(笑)。そんな折、勤務先のゴルフ場に練習に来ていた女子プロの方がいた。笹山麻紀プロ。笹山プロがくる度に私は同伴者としてプレーすることができた。幾度かプレーしているうちにあるご提案を受ける。「ちゃんと報酬をお支払いするので私のコーチをしてほしい」と。居酒屋でご依頼を受けたときをいまだにはっきり覚えている。

「私でよければ喜んで」
その2週間後に笹山プロはステップアップツアーで初優勝を遂げる。
2003年、プロコーチが私のプロフィールに加わった。
(文/中井 学)

画像: 中井学(なかい・がく)1972年4月14日生まれ。高校卒業後に渡米し、苦学しつつゴルフの技術を磨き、見識を深めて帰国。ツアープロコーチとして長く活動した後、2015年にプロテスト合格 2016年、東建ホームメイトカップでレギュラーツアーデビューを果たす

中井学(なかい・がく)1972年4月14日生まれ。高校卒業後に渡米し、苦学しつつゴルフの技術を磨き、見識を深めて帰国。ツアープロコーチとして長く活動した後、2015年にプロテスト合格
2016年、東建ホームメイトカップでレギュラーツアーデビューを果たす

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