40歳を過ぎてからプロテストに合格し、ツアーデビューを果たすなど、プロコーチの枠組みを超えた活動が大きな反響を呼んでいるプロゴルファー・中井学。
そんな中井が自らの波乱万丈のゴルフライフを振り返る連載。第3回は、ゴルフを断念した19歳の中井に、人生を左右する転機が訪れる。

葛藤の日々、そして出した結論はアメリカでのゴルフ

ゴルフをやめて数カ月が経った。予備校に通っていたがまったく身が入らない。予備校のない日も部屋に籠っていた。そんなときは必ず、一階から父の「勉強ばっかりしてたらアホになるでえ、ゴルフ行かへんか」の声。「だから、やめたって言ってるやん」と言い返すやりとりが日常だった。

TVのゴルフ中継を観ていて何度も再開したくなったが、もう一人の自分が戒める。「このケガした左ひじでプロになれる訳がない。やめて当然」

そんなある日、本屋で一冊の本を手にする。アメリカ留学に関する本だった。パラパラッとめくっているとある一文が目に飛び込んできた。「スポーツで大学代表になったら奨学金がでるかもね!」私は狂喜乱舞した。「あっ、この手があったか!これだとお金をかけずにゴルフができる!」

この本を購入し両親に見せた。「アメリカでゴルフがしたいです」でも両親の反応は冷ややかだった。あれだけゴルフに誘っていた父は無言。母は猛反対だった。「あんた学歴社会から逃げるんか」私は昭和47(1972)年生まれ。団塊ジュニアと呼ばれる世代で同学年の人間が200万人以上。当然受験も厳しく、海外留学は日本の大学を落ちた学生が箔を付けるために行くといわれていた。

「学業と両立させます。だからお願いします」「ダメです」いつしか両親と口をきかなくなった。19歳で反抗期(笑)。私は予備校をやめバイトを始めた。反対されても強行突破するため学費を自分で賄う作戦だった。冷戦状態がつづく最中に両親から提案があった。

画像: 葛藤の日々、そして出した結論はアメリカでのゴルフ

条件付きのアメリカ留学、運に身をまかせていざ渡米!

「条件付きでアメリカ留学を許可します。条件1:来春、日本の大学に合格すること。条件2:一年目はゴルフをせずに学業に専念すること」これでゴルフが続けられるならと、その日から人生で一番勉強した。もっと早くすればよかったのに(笑)。

なんとか日本の大学にもひっかかり、晴れてカリフォルニア州立シトラスカレッジ内にある英語学校に入学することに。留学に関して、私が決めていたことは南カルフォルニアの大学ということだけ。理由は、元ロッテの村田兆治さんがひじの手術をカルフォルニア州センチネラ病院にいるF・ジョーブ博士執刀のもと再起したTVのドキュメンタリー番組を観て、アメリカに行けばスーパードクターにケガを治してもらえるかも、という無茶苦茶単純な理由。

今のようにネット社会ではないのでどこの大学でゴルフ部が充実しているかなどという情報はまったくなく、アメリカ領事館に行って大学の資料をみせてもらうもチンプンカンプン。ここで私、中井学、一世一代の運試し。大学図鑑をパラパラっとめくり、目をつぶって「えい!」と指を突っ込み、ささった大学がシトラスカレッジだった。占いやジンクスを一切信じない男が運まかせとは(笑)。

こうして私は1992年7月、機上の人となった。
(文/中井 学)

中井学(なかい・がく)1972年4月14日生まれ。高校卒業後に渡米し、苦学しつつゴルフの技術を磨き、見識を深めて帰国。ツアープロコーチとして長く活動した後、2015年にプロテスト合格。2016年、東建ホームメイトカップでレギュラーツアーデビューを果たす

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