日本各地の名コースを訪ねて回る「ゴルフコース探訪」。その第一回は、涼を求めて北へ。北海道屈指の名品、小樽カントリー倶楽部を訪ねた。
画像: 90年の時を刻んだ名コース・小樽カントリー倶楽部【ゴルフコース探訪Vol.1】<北海道>

「銭函ノ海岸ノ芝地ニテgolfヲナス。海ハ穏カ、山ハ清ク、日ハ暖カ、放牛ハノドカニ快ク運動ス、久シ振リ(約半年振)ニテWooden ClubニテFullニ打ツ快サ」

これは、当時の三菱鉱業小樽支店長・佐藤棟造が、昭和2年(1927年)4月29日に書いた日記の一節である。翌年(1928年)の4月11日、佐藤は小樽銀行集会所で有志10人による発起人会を開き、小樽カントリー倶楽部の前身、小樽ゴルフ倶楽部を創立した。

画像: コースのベンチには倶楽部の創立年である1928の刻印が

コースのベンチには倶楽部の創立年である1928の刻印が

小樽CCの生みの親、この佐藤棟造が小樽に赴任してきたのは大正15年(1926年)。石炭や木材を満載した船が行き交う貿易港、そして北海道初の鉄道が札幌との間に開通した陸路の町として、小樽はまさに隆盛を極めようとしていた頃である。 

画像: 背景に写っているのは旧コースのクラブハウス

背景に写っているのは旧コースのクラブハウス

小樽CCは3ホールから始まった

小樽の町の発展と歩みを揃えるように、3ホールから始まった小樽CCは6ホール、9ホールと拡張を遂げていく。しかし昭和18年(1943年)、戦火の中、コースはやむなく閉鎖された。
終戦後の昭和28年5月、小樽CCは、旧コースの跡につくられた銭凾競馬場の場所に、9ホール、会員数80人の倶楽部として再スタートする。これが現在も往時の姿をとどめる旧コースである。

現在の新コースが完成したのは昭和49年(1974年)の6月。設計はプロゴルファーの安田幸吉。50以上のコースを手がけた名設計家・安田は、代表作ともいえるこのコースを愛し、生涯にわたり樹木の伐採などのアドバイスを送り続けたという。

新コースを訪れて誰も感じるのはその広さ、平坦さ。そしてその雄大さに矛盾するがごとき戦略性の高さだろう。

画像: 平坦さ、雄大さと戦略性の高さを併せ持つ、稀有なコースのひとつだ

平坦さ、雄大さと戦略性の高さを併せ持つ、稀有なコースのひとつだ

「コースの用地は、地形がフラットで、その上樹木が少なく、どのホールも同じようなものになりがちなため、如何に各ホールの特徴を出すかという点について、一番の苦労があった。樹木でも多くあれば特徴もつけ易いのですが、樹木が少ないため、数少ない樹木を生かし、それに合わせてホールを変更しながら最小限の伐採で造成しました。(中略)1つの池でもいろんな性格目的を持たせながら、そのホールの特徴にむすびつける様に考慮して造成しました。いろんな苦労がありましたが、私としては一応満足なものが出来たと思っています」
安田本人の言葉が物語るように、1グリーンへの改造を経たいまも、1ホール1ホールが雄大かつ個性的。その難易度と戦略性の高さは二度の日本オープン開催、そして毎年のサン・クロレラ クラシック開催が証明している。

画像: 1ホール1ホールが雄大かつ個性的

1ホール1ホールが雄大かつ個性的

「小樽」はアイヌ語で「砂浜の中にある川」を意味する「オタルナイ」が起源だという。川が流れる砂浜、まさにリンクスではないか! 佐藤棟造がこの地に、小樽カントリー倶楽部を創立したのは、必然のことだったのかもしれない。

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